再開について

 今朝の朝日新聞に依れば、JR西は来月1日の開通を目指すが、新しいATSの開始を待たない方針、「職員に安全教育を徹底する」とのこと。これだけの事故を起こしても、まだ職員に安全の担保を負担させるということらしい。
 ただ、他紙での同種記事を読んでいない。事実とすれば、今回の事故が安全管理体制の不備がもたらしたもの、という事実を徹底して認めるつもりはないらしい。

路線変更について

 今朝の読売新聞に依れば、「昨日取り上げた路線変更は、複線化による拡幅時に土地買収の関係で路線を変更せざるを得なかった」「(最初の300Rは)緩和曲線も無くカントも不十分だった」と。
 まず、前者については事実関係の展開を待とう。下り線は立体交差化されており、以前の路線では曲線が厳しくなるように見える。後者については以前も緩和曲線の無いカーブ、と指摘を受けており、かつカントが不十分というのは問題だろう。脱輪防止装置が付いていない(JR西としては230Rを超えるので不要と)というのも、どれか一つでも付いていたら、と感じざるを得ない。

もう一つ気になるマスコミの視点

 気になるのはマスコミの感情論だ。「経済優先の招いた事故」などとレッテルを付けJRを非難するのはよいが、では以前の国鉄が良かったとでもいうのか。そこかしこに技術的な理論の破綻や、現実無視の報道が目立つ。
 新しいところでいえば、今日の朝日新聞1面(13版が手元にある)。曰く
「脱線現場のカーブは8年前まで、現在の半径300mのカーブではなく緩やかな半径600mのカーブだった。97年に東西線が開業し乗り入れすることになったことに伴い、線形を変更。大きく西方向に曲がる原ルートに代わった。直線区間の時代もあった。JR側はカーブが急になったこれらの経緯を十分認識しながら、旧型装置の機能を十分に利用していなかったことになる。」(ほぼ全文引用)
 さて、以前の直線は、山陽本線と直行するもので尼崎駅で接続がされていない。「緩やかなカーブ」は明らかに平面交差をしており、かつ事故現場のカーブは小さいが、その先の尼崎駅前のカーブは現在のものより遙かに半径が小さい。
 現在の路線は、明らかに安全対策のために立体交差をするために作られたものだ。またその後のカーブを考えると、今回の300R(半径300mのカーブ)はカーレースのシケイン(減速路)の役割を果たしている、とも考えられる。朝日新聞は、平面交差で毎時数十本を超える車両が行き交った方が安全だ、とでもいうのだろうか。
 誤った情報で国民をもてあそぶのは、いい加減にしてほしいものだ。もっともこの朝日の姿勢も今に始まったことではない。戦時中の大本営発表も、読み比べてみると朝日が最も派手な表現のように感じている。(極端な差が各紙にあるわけではないので、あくまで感覚でしかないが)
 

「経済優先」が事故を招いたのか?

 マスコミの論調は、経済優先主義が事故を招いた、という。しかし以前の国鉄が残っていたら、今頃いったい何百兆の負債を国民は背負わなければならなかっただろう。また鉄道サービスはどうなっていただろう。その意味で、株式会社化し経済効率を考える経営に改めたことは、決して間違いだったとは思えない。国鉄のままなら、料金は大きく高騰し、ダイヤの利便性は高まらず、駅員のサービスは劣悪なまま(かつてひどい扱いを何度も受けた)だっただろう。もちろん、過疎地の路線の縮小は大きな問題だが、実際に利用率が低い以上保守などイニシャルコストのかさむ鉄路からバスへの移行は、費用負担の問題を考えれば致し方がなかったのではないか。実際に国鉄自体に随分と廃線は決まっていたのだから。

 さて今回の事故が本当に「経済優先」の為に起きたのか。今回の事故により、JR西日本は恐らく数百億からさらに上の桁の経済損失を受けるだろう。その費用があればATSの早期設置は簡単だったのではないか。
 経済優先ではなく、目先のコストばかりを見て事故時のリスクを考えず安全対策費を過少に計上していたツケが回ってきただけであり、結局経営者のミスでしかない、と私は思う。
 上述の日勤教育でも「経済優先」であれば、運転士を2週間も1ヶ月も運転からはずし、そこに教育者を付けて精神教育を行う、などというのは無駄なコスト以外の何物でもないだろう。以前の信楽高原鉄道事故でも、JR西日本は徹底して自社の責任を回避して3セクの問題にしたが、安全に関する上部の意識が低すぎたことは今回の事故に通じている。

おまけに・・・

 今回の事故は、スピードオーバーで急カーブに入った電車が、急ブレーキをかけたため(他の要因も加わり)転覆・脱線に至った、という筋に落ち着きそうだ。
 自動車の運転を考えても、カーブに入ってブレーキをかけることを自殺行為に等しい。カーブはスローイン・ファーストアウトが原則である。しかし、タクシー運転手でもたまにカーブの真ん中でブレーキをかけられて、後席で焦ってしまうことがあり、日本の運転手教育に「運転テクニック」の項目が欠けているのは確かだ。
 必要技能は収録させていても、基本的な技術を教育していない、各人個々のレベルに任せてしまう点は、まさに日本の教育に欠けている視点なのでは無かろうか。日勤教育をする暇があれば、シミュレータに乗せ条件を各種取り換えながらトレーニングをした方が、よほど効果が上がるものと思う。

電車の運転は難しい?

 電車でGO!なるゲームでも結構難しいのだが、電車の運転はかなり難しそうだ。乗客の乗降によって、車両全体の重量が大きく変わる。鉄の車輪はゴムタイヤに比べ鉄路との粘着が弱く、急ブレーキはきかせにくい。バスよりも遙かにコントロールは難しいにもかかわらず、+-10センチ程度での停止を要求される。また、車のブレーキなら踏んだ足の圧力(とキックバック)でブレーキコントロールが出来るが、電車ではレバー一本でキックバックなどの反応がない。想像しただけで難しそうだ。
 以前読んだ本では、ベテラン運転士は駅で乗降客を見ながら、現在の乗車人数の見当を付け、それによって運転をしている、とか。100キロ程度で走行して通常通り減速操作をしても、簡単に20〜30mはオーバーランしてしまう、と聞いたことがある。

 運転の上達のためには、経験値と理論の双方を育てることが大切であろう。「どうしてオーバーランしたのか」をといつめる日勤教育で、改善効果が上がるはずがない。
しかも運転士を2週間勤務からはずせば、他の乗務員にその負荷は行くわけで(これも一種の連座制?)ますます事故率の上がるファクターが増えるだろう。